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東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)119号 判決 1990年7月31日

原告 カヤバ工業株式会社

被告 特許庁長官

主文

特許庁が昭和六一年審判第一九九四六号事件について昭和六三年四月一四日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

出願人 原告

出願日 昭和五四年一一月一三日(同年特許願第一四六八三八号)

本願発明の名称 「ベーンポンプ」

拒絶査定 昭和六一年七月三一日

審判請求 昭和六一年一〇月二日(同年審判第一九九四六号事件)

審判請求不成立審決 昭和六三年四月一四日

二  本願発明の要旨

(a)フローコントロールバルブを収装したポンプハウジングと吸込ポートを形成したカバープレートとの間に、ポンプハウジングに支持されたポンプ軸により回転駆動されるロータを収装したカムリングを配置し、これらをボルトにより締結し、前記ポンプハウシングに設けたフローコントロールバルブの余剰流出口に接続してポンプハウジング、カムリング、カバープレートに通じる低圧連絡通路を形成し、かつポンプハウジングに前記余剰流出口に近接して低圧連絡通路の吸込口を形成する一方、カバープレートに設けた吸込ポートを前記低圧連絡通路と連通したベーンポンプであって、(b)前記カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面に、(c)前記低圧連絡通路とカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシール溝をそれぞれ形成し、(d)かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設するようにしたことを特徴とする(e)ベーンポンプ(別紙図面(一)参照)(なお、(a)、(b)…は説明の便宜上当裁判所において付記したもので、以下、これらの各構成を「(a)構成」「(b)構成」…ともいう。)。

三  審決の理由の要点

別紙記載のとおり。

四  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点1は認める(ただし、(b)及び(c)構成の特徴点に係る審決の把握の正当性まで認める趣旨ではない。)。2は認める。3イは認める。同ロのうち、<1>、<2>は認めるが、<3>は争う。同ハは争う。4のうち、(一)は認めるがその余は争う。5は争う。後記第三の一の誤記の点は認める。審決は、本願発明の(b)及び(c)構成の特徴点を正解しなかった結果、相違点(3)の認定部分において、(b)構成の特徴点であるシール溝をカムリングに形成した点を引用例との相違点として正しく把握せず(取消事由(1))、かつ、(c)構成に係る相違点に対する認定判断をも誤った(取消事由(2))

1  (b)及び(c)構成の特徴

本願発明は、車両用パワーステアリング装置等に用いられる油圧ポンプの改良に係り、前記本願発明の要旨のとおりの構成からなる発明であるが、そのうち(b)及び(c)構成の特徴点及び作用効果は次のとおりである(なお、本願発明は、(a)構成中の低圧連絡通路に係る構成にも特徴を有するものであるが、ここでは措く。)。すなわち、(b)構成は、シールリングを配設するためのシール溝を、従来のように、ポンプハウジング及びカバープレート側に形成するのではなく、カムリングに形成する点にその特徴点を有するものであり、また、(c)構成は、従来のように、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分のみを、又はこれらと低圧連絡通路を別々にシール溝で取り囲むのではなく、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路とを一緒に単一のシール溝で、かつこれらに近接して取り囲む構成とした点にその特徴点を有する。そして、本願発明においては、このような(b)及び(c)構成が相俟って、ポンプの小型・軽量化という所期の目的を達成し得たものであって、この点を敷延すれば、前記のような(c)構成の採択により、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路との間隔をできるだけ狭め、かつ、これらにできるだけ近接して非円形状にシール溝を設けることができ、その分ポンプの小型・軽量化を図れるのであり((c)構成は他にもシール性の向上等にも寄与する。)、また、(b)構成についていえば、カムリングはポンプハウジングやカバープレートよりも単純な形状をしているため材質や加工方法の選択の自由度が高く、したがって、前記のようにシール溝をカムリングに形成する構成を採択することにより、前記のように非円形状のシール溝でも自由かつ容易に形成することが可能となるのである。

2  (b)構成の特徴点及び同構成に係る引用例との相違点の把握の誤り(取消事由(1))

(一) 前記1記載のように本願発明の(b)構成の特徴点は、シールリングを配設するためのシール溝をカムリングに形成する点にあるにもかかわらず、審決は、相違点(3)の認定部分において、この点に関し「引用例記載のものでは…カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面にシールリングを備えていないのに対し、本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングの各接合面に…シール溝をそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設した」との認定をしている。右認定部分は、審決が、本願発明の(b)構成に係る引用例との相違点を、カバープレート及びポンプハウジングとカムリングとの各接合面におけるシール溝ないしシールリングの形成、配設の有無としてのみ把握していることを示すものであり、このことからして、審決が、本願発明の(b)構成の前記特徴点を正解せず、その結果、この点を引用例との相違点として正しく把握しないまま爾後の認定判断をしているものであることは明らかというべきであるから、審決は、既にこの点で違法として取消しを免れない。

(二) そして、審決が右のような誤りを犯しているものであることは、前記の審決認定の相違点に対する判断部分において、右相違点に係る構成の推考容易性等を導くために審決が引用している第一、第二周知例(周知事項1に関するもの)及び第四周知例(周知事項3に関するもの)記載の装置が、いずれもカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分を取り囲むシール溝を、(b)構成のようにカムリングにではなく、カバープレート及びポンプハウジングに設けているものであることからも裏付けられるところである。

(三) この点に関し、被告は、審決の前記(一)記載の認定部分は「本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面に…シール溝をそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設した」との構成を簡略に記載したものである旨主張するが、特許権の成立に直接影響する審決書の、しかも進歩性判断の前提をなす相違点の認定部分において、原告主張のような点を正確に把握しながら、簡略な記載をするなどということはあり得ないところであるから、かかる恣意的な被告の主張は到底首肯できない。また被告は、本訴において、前記(二)記載の周知例を差し換える旨主張しているが、かかる周知例の差換えは後記3の(二)において述べるのと同様の理由で許されるべきではないのみならず、その点を措いても、右差換えにより前記審決の誤りが治癒されるものでもない。

3  (c)構成に係る相違点に対する認定判断の誤り(取消事由(2))

(一) 前記1記載のように本願発明の(c)構成の特徴点は、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路とを一緒に単一のシール溝で、かつこれらに近接して取り囲む構成とした点にある。この点に関し、審決は、相違点(3)の認定部分で、「引用例記載のものでは、リザーバ室110がポンプハウジング、カムリング、カバープレートを囲むリザーバ室(「カバー」の誤記)102を設け、カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面にシールリングを備えていないのに対し、本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングの各接合面に、低圧連絡通路とカム面及びカム面周囲の機能部分(「ポンプ機能部分」の誤記)に近接してこれらを取り囲む単一のシールリングをそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設した」との認定をなしておきながら、右相違点に対する判断部分では、「低圧連絡通路を有するベーンポンプ本体をシールリングを用いてシールすることも従来周知である」(周知事項2)、「…カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシール溝を形成し、かつ、このシール溝にそれぞれシールリングを配設することもベーンポンプにおいて従来周知である」(周知事項3)との周知事項を認定し、これのみを援用して(c)構成の推考容易性を導いているものであって、そこでは、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路とを合せて一つのシール溝で取り囲むという(c)構成のうち最大の特徴点に対する判断が完全に欠落している。そして、この点は、審決が本願発明の(c)構成における右特徴点を正解していないことを示すものであり、その結果、審決は、右特徴点に対する判断を欠落させたまま(c)構成の容易推考性を結論付けているものであるから、この点に関する審決の認定判断も誤りである。

(二) この点に関し、被告は、周知事項2として審決が指摘するところは、「低圧連絡通路とカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分を取り囲むシール溝をそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設することも従来周知である」との趣旨である旨主張するが、審決の右指摘部分を被告主張のように解し得ないことは、その文面自体に徴しても明らかであり、また、同周知事項を裏付けるために審決が引用している第三周知例を見ても、そこに記載された装置は、低圧連絡通路らしきものを有するもののカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路を一緒に単一のシール溝で取り囲む構成など全く採用していないのであるから、右被告の主張も、審決の認定判断に基づかない恣意的な主張と評さざるを得ない。また被告は、周知事項2を被告主張のように解することを前提として、本訴において、右第三周知例の差換えを主張するが、かかる周知例の差換えは、審決が何ら認定判断していない事柄に関して新たに周知例を引用することに帰すから許されるべきではなく、その点を措いても、かかる差換えにより前記審決の誤りが治癒されるものではない。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認め、四は争う(なお、請求の原因三の審決の理由の要点中、2に「ザーバ室」とあるのは「リザーバ室」の、3イに『「フローコントロールバルブ」、「吸込みポート」』とあるのは『「フローコントロールバルブ」、「ポンプハウジング」、「吸込みポート」』の、3ロ<3>に「リザーバ室102」とあるのは「カバー102」の、3ロ<3>、4(三)イ及びロに「機能部分」とあるのはいずれも「ポンプ機能部分」の、各誤記(審決が誤つて記載したもの)である。)。

二  被告の主張

1  (b)及び(c)構成の特徴について

原告が主張する(b)及び(c)構成の作用効果はいずれも、該構成のみでは奏し得ないか又は明細書の記載に基づかないものである。例えば、シール溝の加工が容易になるためにはカムリングがカバープレートやポンプハウジングに比して単純な形状をしている必要があるが、特許請求の範囲中にはその点について明記されていないし、ポンプの小型化、軽量化が図れるというためには「シールリングの外側の余剰肉部分を削除する」(甲第四号証(本願発明の明細書)五頁一一行ないし一二行)必要があるが、その点についても特許請求の範囲中に記載されていない。

2  取消事由(1)について

原告指摘の相違点(3)に係る審決認定部分のうち、本願発明に関する部分は「…本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面に…シール溝をそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設した」との構成を簡略に記載したものである。また審決は、該相違点に対する判断部分の周知事項1の指摘中で「カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面をシールするため、各接合面にカム面及びカム面周囲の機能部分を取り囲むシール溝を形成し…」としているが、この部分は「カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面にカム面及びカム面周囲の機能部分を取り囲むシール溝をそれぞれ形成し…」との趣旨である。もっとも、その裏付けとして審決において引用した第一、第二周知例記載の装置がいずれもカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分を取り囲むシール溝をカムリングにではなくカバープレート及びポンプハウジングに設けているものであることは認めるが(なお、後記のように周知事項3はシール溝をカムリングに形成する点を指摘するものではないが、同周知事項に関する第四周知例も第一、第二周知例と同様であることも認める。)、シール溝をカムリングに形成する点が周知であることは、本訴において提出する乙第一号証の一ないし三(昭和三二年一二月一五日・株式会社コロナ社発行の「水力機械工学便覧」六二二、六二三頁)、第二号証(特開昭五〇―一六〇八一七号公報)、第三号証の一(実願昭五三―七六六一五号の願書並びに添付の明細書及び図面のマイクロフイルム)、同号証の二(実開昭五三―一六六七〇三号公報)、第四号証の一(実願昭四八―一二〇三九二号の願書並びに添付の明細書及び図面のマイクロフイルム)、同号証の二(実開昭五〇―六四二一二号公報)及び第五号証(特公昭二九―七六六四号公報)等から明らかである。なお、原告は、このような周知例の差換えが許されない旨主張するが、審決は引用に係る周知例を技術水準を示すものとして例示しているのにすぎないから、これに代えてより適切な周知例に差し換えることは許されるべきである。

3  取消事由(2)について

本願発明の(c)構成は、審決指摘の周知事項2の構成と同3の構成を総和した構成に相当する。すなわち、審決は、周知事項2につき「低圧連絡通路を有するベーンポンプを本体をシールリングを用いてシールすることも従来周知である」とのみ認定しているが、これは「低圧連絡通路とカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分を取り囲むシール溝をそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設することも従来周知である」との趣旨であり、また、周知事項3については、審決は、「ポンプハウジング並びにカバープレートに対するカムリングの各接合面に、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシール溝を形成し、かつ、このシール溝にそれぞれシールリングを配設することもベーンポンプにおいて従来周知である」としているが、ここでは、その前半部分の「ポンプハウジング並びにカバープレートに対するカムリングの各接合面に」との記載に意味は無く、「カム面及びンム面周囲のポンプ機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシール溝を形成し」との部分に意味があるのであって、周知事項1、2をこのように解釈すれば、前記(c)構成がその総和であることは明らかである。もっとも、周知事項2の裏付けとして審決において引用した第三周知例記載の装置が、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路を一緒に単一のシール溝で取り囲む構成を採用していないことは認めるが、前記のように解釈される周知事項2が周知であることは、本訴において提出する乙第六号証(米国特許第二八三二二九三号明細書)、第七号証(特公昭三一―四二七九号公報)、第八号証(米国特許第二九一〇九四四号明細書)等によって明らかである。なお、原告は、右周知例の差換えについても許されない旨主張するが、前記2において述べたのと同様の理由により許されるべきである。

第四証拠関係<省略>

理由

一  請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び審決の理由の要点)は当事者間に争いがない。

二  取消事由に対する判断

1  (b)及び(c)構成の特徴について

前記当事者間に争いのない本願発明の要旨に成立に争いのない甲第三号証の二及び第四号証(これらを以下「本願明細書」と総称する。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、本願発明は、車両用パワーステアリング装置等に用いられる油圧ポンプの改良に係り、前記本願発明の要旨のとおりの構成からなる発明であること、本願発明の主たる目的はポンプの小型化、軽量化を図る点にあり、右目的達成のために、本願発明は、前記本願発明の要旨のとおりの構成、殊に(b)及び(c)構成を採択したものであること、右(b)及び(c)構成の特徴点は、(b)構成においては、シールリングを配設するためのシール溝を従来のようにポンプハウジング及びカバープレートに形成するのではなくカムリングに形成する点にあり、また、(c)構成においては、従来のようにカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分のみを又はこれらと低圧連絡通路を別々にシール溝で取り囲むのではなく、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路とを一緒に単一のシール溝で、かつこれらに近接して取り囲む構成とした点にあること、そして、本願発明においては、(c)構成を採択して、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路との間隔をできるだけ狭め、かつ、これらにできるだけ近接してシール溝を設けられるようにするとともに、(b)構成、すなわち、ポンプハウジングやカバープレートに比し単純な形状のカムリングにシール溝を設ける構成を採択することにより、シール溝をより容易にかつ自由な形状に形成できるようにし、もって、ポンプの小型・軽量化を図ろうとしたものであることが認められる。

なお、被告は、原告主張の(b)及び(c)構成の作用効果はいずれも該構成のみでは奏し得ないか又は明細書の記載に基づかないものである旨主張するが、右に認定した程度のことは、前記本願発明の要旨及び本願明細書の記載からたやすく認定又は推認できるところであるというべきであるし、被告が特許請求の範囲に明記される必要があるとするカムリングの形状の単純さ等の点も、敢えて特許請求の範囲中に明記がなくとも、本願明細書の記載等から当業者が容易に推認し、理解することの可能な事柄であるといわざるを得ない。

2  取消事由(1)について

(一)  前記1認定のとおり、本願発明の(b)構成は、シール溝をカバープレート及びポンプハウジングにではなく、カムリングに形成する点にその特徴点を有するものであるから、(b)構成に係る引用例との相違点としては、本願発明ではシール溝をカムリングに形成するものとしている点が正しく把握されている必要があることはいうまでもない。

(二)  しかるに、審決は、この点に関し、相違点(3)の認定中で、「引用例記載のものでは、…カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面にシールリングを備えていないのに対し、本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングの各接合面に…シール溝を…それぞれ形成し」と認定している(審決の理由の要点3ロ<3>)。右認定の前半部分で、引用例の具備しない構成が「カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面に」シールリングを備えていない点にあるとしながら、後半部分では、これに対比すべき本願発明の構成として「カバープレート並びにポンプハウジングの各接合面に」シール溝を形成する点を摘示するのみであって、これでは、原告主張のように審決は、(b)構成に係る本願発明と引用例との相違点を、単にカバープレート及びポンプハウジングとカムリングとの各接合面におけるシール溝ないしシールリングの形成、配設の有無としてのみ捉え、前記(b)構成の特徴点、すなわちシール溝をカムリングに形成する構成を引用例との相違点として正確に把握していないのではないかとの疑いを否定し得ない。

(三)  そこで、この点に関し更に、審決の右相違点に対する判断部分をみるに(審決の理由の要点4(三))、審決は、相違点(3)に対する判断中で、まず「引用例のものでは、カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面に…シール溝を形成し…た点が記載されていないが」として前記相違点の認定中の前半部分と同様の説示をしたうえ(審決の理由の要点4(三)イ)、右説示に引続いて「カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面をシールするため、各接合面にカム面及びカム面周囲の機能部分を取り囲むシール溝を形成し、かつ、これらのシール溝にそれぞれシールリングを配設することは、ベーンポンプにおいて従来周知であり」と認定しており(同ロ、周知事項1)、これによれば一見シール溝をカムリングに形成する本願発明の(b)構成の特徴点を引用例との相違点として正しく把握したうえで理由説示をしているかの如くである。しかしながら、審決が右周知事項を裏付けるものとして引用している特公昭四九―四九一二三号公報(第一周知例、成立に争いのない甲第六号証)、特公昭三七―九八七九号公報(第二周知例、成立に争いのない甲第七号証)に記載された装置は、いずれもカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分を取り囲むシール溝をカムリングではなく、カバープレート及びポンプハウジングに形成しているものであることにつき当事者間に争いがないのみならず、その結論部分では、右周知事項等から「シールリングの配設の必要性のため、カバープレート並びにポンプハウジングのカムリングに対する接合面にシールリングを配設することは、当業者であれば通常なし得る技術事項に過ぎない」(同ニ)として、右周知事項等から容易に推考し得る本願発明の構成を「カバープレート並びにポンプハウジングのカムリングに対する接合面にシールリングを配設すること」、すなわち、カムリングではなくカバープレート及びポンプハウジングにシールリングが配設されるものとして捉えているのであるから、前記のように一見両者の相違点を正しく把握しているかの如き文言にもかかわらず、この部分の審決の認定説示も、かえって、審決が本願発明の(b)構成と引用例との相違点を正確に把握していないことを裏付けるものといわざるを得ない。更に、右説示部分に引続いて、審決は「更に検討するに、ポンプハウジング並びにカバープレートに対するカムリングの各接合面に…シール溝を形成し、このシール溝にそれぞれシールリングを配設することもベーンポンプにおいて従来周知である」との認定をしており(同ホ、周知事項3)、この認定による限り、審決は、本願発明において、シール溝はカムリングに配設されるものと把握している如くであるが、同周知事項の裏付けのために審決が引用する英国特許第一二九一四六一号明細書(第四周知例、成立に争いのない甲第九号証)に記載された装置も、前記第一、第二周知例と同様、カムリングではなくカバープレート及びポンプハウジングにシールリングを形成するものであるから(この点についても当事者間に争いがない。)、右認定部分をもって、シール溝をカムリングに形成する点が周知であることを示しているものとも解しがたい(この点に関しては、被告も、右箇所の認定は本願発明の(c)構成に関して説示したものであって、(b)構成に関する説示としての意味があるわけではない旨自陳しているところである。)。そして、審決の他の記載部分を参酌しても、審決が、前記(b)構成の特徴点を引用例との相違点として正確に把握していることを窺わしめるような記載部分を見出すことはできない。

(四)  以上のとおり、(b)構成に係る審決の相違点の認定及び該相違点に対する判断部分は、その認定説示自体に多くの矛盾がみられるのみならず、これに関して審決の引用する各周知例記載の装置はすべて、(b)構成の規定するところに反して、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分を取り囲むシール溝をカバープレート及びポンプハウジングに形成するものであることに徴すれば、原告主張のとおり、審決は、本願発明の(b)構成の特徴点を正解せず、右特徴点を引用例との相違点として正しく把握しないまま爾後の判断をなしているものと認めざるを得ないから、原告主張の取消事由(1)は理由がある。

(五)  被告は、相違点(3)における「…本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングの各接合面に…シール溝をそれぞれ形成し」との審決の認定部分は「…本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面に…シール溝をそれぞれ形成し」との認定を簡略に記載したものである旨主張するが、以上の認定説示に徴し、特に審決自らが引用する各周知例が前記のようにシール溝をカムリングにではなくカバープレート及びポンプハウジングに形成されているものであることに鑑み、右審決の認定部分を被告主張のように解することは到底できないというほかないから、右被告の主張は採用の限りでない。

3  取消事由(2)について

(一)  前記1認定のとおり、本願発明の(c)構成の特徴点は、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路とを一緒に単一のシール溝で、かつこれらに近接して取り囲む構成とした点にある。

(二)  しかして、審決は、(c)構成に関し、相違点(3)の認定部分で「引用例記載のものでは、リザーバ室110がポンプハウジング、カムリング、カバープレートを囲むリザーバ室102(「カバ―102」の誤記)を設け、カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面にシールリングを備えていないのに対し、本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングの各接合面に、低圧連絡通路とカム面及びカム面周囲の機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシールリングをそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設した」との認定をなしながら(審決の理由の要点3ロ<3>)、該相違点に対する判断部分では(審決の理由の要点4(三))、「低圧連絡通路を有するベーンポンプ本体をシールリングを用いてシールすることも従来周知である」(同ハ、周知事項2)、「カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシール溝を形成し、かつ、このシール溝にそれぞれシールリングを配設することもベーンポンプにおいて従来周知である」(同、周知事項3)と認定し、これを援用することにより(c)構成の推考容易性を導いているものである(同ヘ)。

(三)  しかしながら、右各周知事項として審決が指摘するところは、周知事項2においては、たかだか、ベーンポンプのうち低圧連絡通路を有するものにおいてもベーンポンプ本体をシールリングでシールするものがあること(この点は、周知事項2の関する審決の文言のみならず、同周知事項を裏付けるものとして審決が引用する特開昭五二―一三二四〇三号公報(第三周知例、成立に争いのない甲第八号証)記載の装置がカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路とを一緒に単一のシール溝で取り囲む構成を採用するものではないことにつき当事者間に争いがないことに徴しても、そのように解するしかないものというべきである。)、周知事項3においては、ベーンポンプにおいて、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシール溝を形成し、そのシール溝にそれぞれシールリングを配設することをそれぞれ示しているのみであって(なお、周知事項3の裏付けのために審決が引用する前記第四周知例がシール溝をカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分に「近接して」設ける点までを開示しているものであるか否かは必ずしも明らかでないが、その点は措く。)、いずれも、前記本願発明の(c)構成の特徴点である、低圧連絡通路を有するベーンポンプにおいて、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路とを一緒に単一のシール溝で取り囲む構成が周知であるとするものでなく、また審決の他の記載を参酌しても、(c)構成に係る相違点に関する審決の認定判断がその点を含めて判断していることを窺わしめるに足りる記載はないから、審決は、右(c)構成の特徴点についての判断を完全に欠落しているものと認めざるを得ない。

(四)  また、右の点を措いても、引用例の記載と審決が指摘する前記のような周知事項のみから、審決のいうように、本願発明の(c)構成の特徴点をなすカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分と低圧連絡通路とを一緒に単一のシール溝で取り囲む構成が容易に想到し得るとか、右構成の奏する作用効果が引用例及び前記周知事項が奏する効果の総和にすぎない(審決の理由の要点4(四))と即断することはできず、(c)構成に係る相違点に対する審決の認定判断はこの点でも誤りであるといわなければならないから、原告主張の取消事由(2)も理由がある。

(五)  この点に関し、被告は、周知事項2に係る審決の指摘は「低圧連絡通路とカム面及びカム面周囲のポンプ機能部分を取り囲むシール溝をそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設することも従来周知である」との趣旨である旨主張するが、右審決の指摘を被告主張のように解し得ないことは前記(三)において認定説示したところからも明らかである。

4  取消事由(1)、(2)を通じ、被告は、(b)構成及び(c)構成に関し審決が引用した周知例を差し換えることを主張する。右にいう差換えとは、各構成の進歩性の欠如、すなわち各構成が他の公知の発明から容易に推考し得ることを示す証拠を、本件の審決取消訴訟において新たに提出することを意味するものであることはその主張自体に照らし明らかなところである。しかして、前記のとおり、各構成についての把握内容は審決の認定判断と被告の主張において異なるのであり、被告が差換えと称して提出する新証拠はいずれも被告が把握した各構成に関わるものであるから、審決の認定判断を離れてかかる証拠の提出を認めることは相当ではない。

そうであっても被告の主張する(b)構成及び(c)構成の把握は、本願発明の要旨に照らしそれ自体としては誤っていないと認められるから、審決取消訴訟においてかように正しく把握された構成についてまで新証拠による審理が許されないとすることの当否は検討を要する。しかし、もし、新証拠の提出を認めるとすれば、そのことは、特許庁(被告)が出願人(原告)に対して新たな拒絶理由を示すことと変わりはないから、各構成の把握いかんにかかわらず、そのようなことは補正の機会のない審決取消訴訟の手続において許されるものではないと解するのが相当である。被告が新証拠として提出する乙号各証がそれ自体としてみる限り周知事実に関するものであることは否定し得ないとしても、いずれも、(b)構成又は(c)構成を想到することの容易性そのものに関わるもので、単に技術水準を知るとか刊行物の記載内容を明らかにするという類いのものとは異なるものであることは明らかである(現に審決自ら周知事実と認める甲号各証を拒絶理由として通知している。)。

したがって、本件において審決の当否を判断するに当たり、被告が新証拠として提出する乙号各証を参酌することは許されないものといわなければならない。

5  以上のとおり、原告主張の取消事由(1)、(2)はいずれも理由があり、これらの点に関する審決の誤りが審決の結論に影響を及ぼすべきものであることも明らかであるから、審決は違法として取消しを免れない。

三  よって、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞 舟橋定之 小野洋一)

別紙

1 本願発明の要旨

前項記載のとおり(特許請求の範囲の記載に同じ。)。

2 特公昭五一―二〇七二六号公報(以下「引用例」という。)の記載

「バルブ装置を中に入れたポンプハウジング10と流入口44、46を形成したプレート16との間に、ポンプハウジングに支持された駆動軸24により回転駆動されるロータ20を収装したカムリング14を配置し、ポンプハウジング10とカムリング14とをクランプボルト18により締結し、ポンプハウジングの中にあるバルブ装置からの余剰バイパス流が、ポンプハウジング10のポンプ吸込流通路96に至り、更に、カムリング14に形成したザーバ室110の吸込口との交差通路108とカバープレート16の流体流入空洞106とで構成される通路を介して流入口44、46に至るようにしたスリッパーを使用した押し込み流体ポンプ」が記載されている(別紙図面(二)参照)。

3 本願発明と引用例記載の装置の対比

(イ)引用例記載の「バルブ装置」、「ポンプハウジング10」、「流入口44、46」、「プレート16」、「カムリング14」、「カムリング14に形成したリザーバ室110の吸込口との交差通路108とカバープレート16の流体流入空洞106とで構成される通路」はそれぞれ本願発明の「フローコントロールバルブ」、「吸込ポート」、「カバープレート」、「カムリング」、「低圧連絡通路」に相当するから、(ロ)両者は、<1>引用例記載のものでは、スリッパーを使用した押し込み流体ポンプであるのに対し、本願発明はベーンポンプであり、ポンプの型式が異なる点(以下「相違点(1)」という。)、<2>引用例記載のものでは低圧連絡通路が、カムリングに形成したリザーバ室110の吸込口との交差通路とカバープレートの流体流入空洞106とで構成されるのに対し、本願発明では、ポンプハウジング、カムリング、カバープレートを通して構成される点(以下「相違点(2)」という。)、<3>引用例記載のものでは、リザーバ室110がポンプハウジング、カムリング、カバープレートを囲むリザーバ室102を設け、カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面にシールリングを備えていないのに対し、本願発明では、カバープレート並びにポンプハウジングの各接合面に、低圧連絡通路とカム面及びカム面周囲の機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシール溝をそれぞれ形成し、かつこのシール溝にそれぞれシールリングを配設した点(以下「相違点(3)」という。)で相違し、(ハ)その余の点で一致している。

4 相違点に対する判断

(一) 相違点(1)について

引用例記載のスリッパーを使用した押し込み流体ポンプにおいて、スリツパーはベーンの一種と考えることは、請求人(原告)が昭和六〇年一〇月四日付けで提出した意見書において述べているとおり、当業者において何ら困難性がないものと認める。したがって、スリッパーを使用した押し込みポンプからベーンポンプに想到することは、当業者が容易になし得たものと認める。

(二) 相違点(2)について

引用例記載の低圧連絡通路と、本願発明の低圧連絡通路は、いずれもバイパス流を利用してポンプの吸込側の予圧を行ないポンプの吸込効率を向上させるために設けたものであり、低圧連絡通路の構成が相違するが、構成の相違に基づく作用効果の点において格別顕著な差異が認められず、本願発明の低圧連絡通路を引用例記載の技術事項に基づいて想到することは、当業者が容易になし得たものと認める。

(三) 相違点(3)について

(イ)引用例のものでは、カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面に、低圧連絡通路とカム面及びカム面周囲の機能部分に近接してこれらを取り囲むシール溝を形成し、かつ、このシール溝にそれぞれシールリングを配設した点が記載されていないが、(ロ)カバープレート並びにポンプハウジングに対するカムリングの各接合面をシールするため、各接合面にカム面及びカム面周囲の機能部分を取り囲むシール溝を形成し、かつ、これらのシール溝にそれぞれシールリングを配設すること(以下「周知事項1」ともいう。)は、ベーンポンプにおいて従来周知であり(必要ならば、前審において拒絶理由通知で引用した特公昭四九―四九一二三号公報(別紙図面(三)参照、以下「第一周知例」という。)、特公三七―九八七九号公報(別紙図面(四)参照、以下「第二周知例」という。)参照)、(ハ)更に、低圧連絡通路を有するベーンポンプ本体をシールリングを用いてシールすること(以下「周知事項2」ともいう。)も従来周知である(必要ならば、前審において拒絶理由通知で引用した特開昭五二―一三二四〇三号公報(別紙図面(五)参照、以下「第三周知例」という。)参照)ことから、(ニ)シールリングの配設の必要性のため、カバープレート並びにポンプハウジングのカムリングに対する接合面にシールリングを配設することは、当業者であれば通常なし得る技術事項にすぎないものと認める。(ホ)更に検討するに、ポンプハウジング並びにカバープレートに対するカムリングの各接合面に、カム面及びカム面周囲のポンプ機能部分に近接してこれらを取り囲む単一のシール溝を形成し、かつ、このシール溝にそれぞれシールリングを配設すること(以下「周知事項3」ともいう。)もベーンポンプにおいて従来周知である(必要ならば、英国特許第一二九一四六一号明細書(別紙図面(六)参照、以下「第四周知例」という。)参照)ことから、(ヘ)引用例記載のベーンポンプにおいて、従来周知なベーンポンプのシールリングを配設することにより、本願発明のシールリングを配設するように構成することは、当業者が必要に応じて容易に想到し得たものと認める。

(四) そして、本願発明は、前記引用例及び従来周知な技術事項を寄せ集めてベーンポンプを構成したものに相当するものと認められるが、それらを寄せ集めても引用例及び従来周知の技術の効果の総和以上の相乗効果を生じるとは認められない。

5 以上のとおり、本願発明は引用例に記載された事項及び従来周知な技術事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができない。

図面(一)

第1図~第7図<省略>

図面(二)

Fig.1図<省略>

Fig.5図<省略>

Fig.7図<省略>

図面(三)

Fig.1図<省略>

Fig.2図<省略>

Fig.3図<省略>

図面(四)

第1図、第2図<省略>

図面(五)

第1図~第4図<省略>

図面(六)

Fig.1図<省略>

Fig.2図<省略>

Fig.3図<省略>

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